昨年の元日襲った能登地方地震は大きな被害を出しました。少しずつ回復して来た矢先の9月には再び、同じ地区を大水害が襲いました。真に不条理と言う他はありません。
能登は長い伝統を持つ【輪島塗り】の土地柄であります。災害後、分業の塗師、研ぎ師、絵師などが輪島を離れて行ったと言います。今、再生し様と輪島に戻ってきた技師も多いそうです。日本は古来より漆の永い歴史が有ります。もともと漆文化は中国、韓国から渡って来たと思われていました。が、昭和36年(1971年)福井・三方の縄文遺跡(紀元前1万~5千年頃)から見事な漆の櫛、容器、弓などの断片が発見されました。漆は日本で独特に発明された技術なのかもしれません。その後、仏教伝来と共に仏像や仏具に大量に漆は使用されて【漆文化】が発達したと言われます。
茨城には大子市を中心に漆産業が今でも脈々と続いています。これは江戸時代、藩主・徳川頼房が藩政として漆産業を奨励した事も有ります。現在も漆の木を掻いてゴム状の【漆液】を取る事をしています。ここから漆塗りの産地、輪島や会津などへ配給されている様です。
以前、水戸藩と関係のあった御三家・和歌山城を訪ねた事が有ります。その城には【雑賀鉢】という【兜】が展示して在りました。近くの雑賀(さいか)の地は根来衆(ねごろ)という武装集団が根来寺に居ました。彼らは下地を朱塗りに、その上に黒塗りをする落ち着いた見事な漆の兜でした。根来寺は紀ノ川沿いの高台にあり訪ねる予定でしたが、時間がなく紀ノ川を溯り【高野山】へ向かってしまいました。
江戸時代、オランダから遠眼鏡が輸入されました。それは金属製で重い為に日本では紙に漆を塗り軽くして明治の戦争時には大いに利用されたと言われます。この様に漆文化は日本独特に色々の形で全国に発展して行ったと言えます。やはり【Japan】の国と言って良いのではないでしょうか。伝統ある輪島塗り復興、再考されて伝統を守り新しい進化をして欲しいと思うのです。
漆(japan)の文化