残日録

老人の想い

師走に入り、『あっという間』の一年が過ぎてしまいました。 無我夢中で過ごしたサリーマン時代を思い出しています。 それなりに生きる術を両親、先輩諸氏、そして羇旅を通じて学んで来たと思うのです。 若い時には国の為、会社の為を思い頑張った時期が有りました。
これまでの世を観て来て思う事は、一方的な電子社会が進み、その教育を受けなかった老人達は、その坂を越える事が出来ないで居るのです。 一方、世の乱れはおぞましさを感じる事件や自己中心的な生き方に憤りを感じる姿が有ります。 働かないで安易に詐欺や闇バイトを繰り返す軽佻浮薄な道徳心はどこから来たのでしょう。 自由をはき違えたマナー低下は目に余るものが有ります。
少なくとも小学生までは素直な考えや行動に未来と希望が有ります。 成長期の中学生頃になると自我は萌え、考えや行動が変化して行きます。 人生の中でこの時期が一番大事な時期であると言えるでしょう。 この辺が昔の社会と大きく変化したと言えます。 社会の在り様が大きく変化したのです。
我々の頃、社会のベースは【儒教や仏教】があった様な気がします。 例えば、老人に対して『老人は一生懸命、世の中を良くしようと頑張ったのだから【尊敬と感謝】をしよう』と教わりました。 が、今は『老人は身体が弱いから大事にしよう』と、学校では教えるそうです。 その意味合いは違います。
日本人独特の『和を以て貴しとなす!』という道徳心を思い起こして欲しいのです。 認め合い、互いに協力する心を思春期に育みたいと思うのです
今、ロシアや中国の様に【統制する社会】には本当の自由やお互いを認め合う心は生まれないでしょう。 また、民主主義の名の下に『自由をはき違えた』危うい社会は本物ではありません。 今、老人達が見ている社会は『白か黒かの分断』にしか見えません。 柔らかい【中道】と言う生き方がきっと有るはずです。

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