今、日本は国防費をGDP【2%】にするという事がアッサリと決まってしまいました。戦後、長い間、1%を超える、超えないと、議論が続いて来た経緯が有りました。周辺環境の状況や他国の感情の行き交う【ドサクサ】に、簡単に決まるという危うさを心配します。
過去の歴史には、民意を外れたモータル・ポイントが多いのです。民意に問う程の大事な話をいつの間にか簡単に決まってしまった例は沢山有ります。危険なことです!
日本は何故、第二次世界大戦に入ってしまったのか? その分岐点はどこにあったのでしょう。溯る事、明治33年(1900年)ロシアは20万人の兵が南下し、遼東半島の大連、旅順に築港、要塞を築いたのです。日本は、南下を食い止めるべく【日露戦争】に突入して23万人の犠牲兵を出し食い止めました。ポーツマス講和で、中国の承諾を得て、戦利の【旅順-長春間】の民営化、【南満州鉄道】を創設しました。
その後、南満州鉄道は遼東半島先端に位置する関東州の守備、及び、【南満州鉄道附属地警備】を目的に兵を置きました。関東都督府守備隊の兵は、鉄道拡張に伴い、権益を守る目的で【関東軍】が独立誕生したのが大正8年(1919年)でした。
ロシア・シベリア軍は色々と南下策を取り、ちょっかいを出してくる!中華国は内戦のドサクサの時期、日本政府は守備強化を目的に【強兵策】を取って行きました。これが後々の拡大策に繋がって行ったのです。
今、ウクライナ戦争や中国の拡大策が問題となっています。日本もその影響を受けている事実があります。この対策に、強兵策を取る事を【一部の人】で決める様な気がしてなりません。【民意の重要性】を過去に学んだはずです。
私達は、大戦後の塗炭の苦しみを味わいました。戦後を知る老人は、同じ道を歩ゆまぬ様に望むのです。 歴史はくり返します!!
【ドサクサ】に紛れて!