2016年6月、80歳のムヒカ氏ご夫妻が日本国を訪れて東京外語大学で講演を行い、その時の録画を観て感動しました。それまで、彼のことは全く知らなかった人でした。彼はウルグアイ国の大統領を5年間も勤めております。そして彼を有名にしたのは2012年の【環境国際会議】の公演内容だったと言います。現代社会が無限の消費と経済成長を追い求める中で、人類が本当に幸福になっているかを問い掛け、彼は『貧しい人とは、少ししかお金を持っていない人ではなく、無限の欲がありいくらあっても満足しない人のことだ』と、物質的な豊かさよりも日常の生活の中にこそ幸福があると強調しました。
子供の頃、彼の家は貧しかったそうです。その頃、家の近くには日本人家族が住んでいて花の栽培をして居たと言います。彼の母親は日本人家族と親しくしており、真面目に一生懸命に働く日本人を尊敬していたそうです。彼もその影響を受けて一度日本を訪ねたいと思っていたと公演の時に語っていました。
彼は大学卒業後、家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら1960年代に極左都市ゲリラ組織【ツパマロス】に加入しています。ゲリラ活動に参加してツパマロスと治安組織の抗争の激化に労働組合や職人組合の政治経済への反発といった時代の下で、数々の襲撃、誘拐 にたずさわり、彼は6発の銃弾を受けて4度の逮捕(その内の2回は脱獄)を経験しています。ムヒカ氏は14年以上にわたり投獄されたそうです。その間、拷問を受け過酷な環境と隔離状態の中で大半の時間を過ごしそうです。1985年にウルグアイに民主主義が戻ると釈放されました。獄中生活について、ムヒカ氏は狂気を直接体験したと語り、『妄想に苦しみ、アリと会話する事さえあった』と言います。釈放された日が人生で最も幸せな日だったと語り『大統領になったことなど、それに比べれば取るに足らない!』と語っていました。
この様な経歴を持ちながらも自分よりも国の為、皆の為に尽くし、報酬の大部分を財団に寄付して月/100ドル強の生活をしていた様です。その質素な暮らしから『世界で最も貧しい大統領!』としても知られています。
彼は日本の学生達に講演をし、嘘のない自分の考えをじっくりと語り帰国して行きました。そして彼は最後に『日本は高い生産性や効率を高めたが、それで皆さんは本当に幸せになったのですか?』と、耳の 痛い言葉を残したのです。それから8年が経ち、2025年5月、89歳で静かに旅立って行ったそうです。ご冥福をお祈りしたいと思います。
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