残日録

人の風貌

先日、10何年振りに友人に会いました。見た瞬間、あっと!思う程老いを感じたのです。いろいろと話をする内に大病をした事が解りました。あの元気で溌溂とした彼の若かりし頃がフォーカスして来ました。夢と理想に燃えて労働組合の役員をしていた彼は本当にアグレッシブで優秀な人でした。今でも考え方は前向きで変わりなく、彼の話にはロジカルな考え方があり、勉強している人だなと感じ安心しました。昔、ベトナム戦争の本を良く読んでいました。彼の【風貌】からある文面を思い出したのです。ベトナムの首都はホーチミン市です。この地名はベトナム戦争を指揮し、勝利に導いた【ホー・チミン氏】の名を取って付けられています。昔は【サイゴン】と言いました。
1910年代、若かりし頃、パリで仏印インドシナのフランス植民地主義を烈火の如く怒り弁をふるっていた【グエン・アイコォック氏】と、日本人画家の【小松清氏】は、無二の友として付合いが有ったそうです。その頃、グエン・アイクォック氏は『芸術家など何の価値があるのか、一緒に革命の道に進もう』と誘ったそうです。小松清氏は、その道には進みませんでした。やがて時間は流れて日本軍は仏印をフランスから追い出しています。戦後になり南・北ベトナム戦争が始まり、北ベトナムはアメリカに勝利して【ベトナム民主共和国】を宣言しました。
ある時、日本に居た小松清氏にベトナム官僚が、そっと会いに来たそうです。官僚はホーチミン氏に会って欲しいと言うのです。グエン・アイコォック氏とホーチミン氏は【同一人物なのかを確認して欲しいとの頼みでした。小松氏はベトナムで彼に会いました。が、会ったホーチミン氏は昔、共に過ごした激しいグエン・アイクォック氏では無く、いかにも好々爺のホー・チミン氏でした。彼は昔の話を一切せず『日本には大変お世話になった!』と言うだけでした。小松清氏も、昔、一緒に居た事を話せずにその場は終わったそうです。
結局、同一人物の確認は出来なかったと言います。今でもベトナムではホーチミン氏とグエン・アイコォック氏は同一人物とされています。しかし、本当の事は謎のままです!小松清氏は激しく烈火の様なグエン・アイクォック氏と好好爺港・ホーチミン氏の風貌が、どうしてもフォーカス出来なかったと言います。

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ホー・チミン氏

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ベトナム戦争・ピューリッアー賞

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