残日録

北のまほろば

6月頃からの猛暑は延々と続き9月に入ってしまいました。毎年、子供が夏休みに入ると旅を続けて来た事を思い出します。関東に住み旅を考える時、まず多くの人達は北へ向かいたいという願望が有ると思うのです。私もその一人で、東北地方の旅を思うと何となく熱くなるのです。従い、随分関東以北の旅をして来ました。
特に本州の最果て【青森県】には特別な思いが有ります。青森県は津軽半島と下北半島があり、その地形、気候、風土には大きな違いがある様です。その津軽半島は元々南部藩でしたが【津軽為信】の謀反により津軽藩が出来たと言われます。長野と松本、前橋と高崎の様に、青森も津軽と下北地方は絶えず言い合いをしている様です。従い文化や生活様式も違う様です。夏のお祭り【ねぷた祭り】は地区により夫々違いがある様です。ただ、どこへ行っても大声で子供達が『ラッセーラ ラッセーラ』と汗をかきながら夢中で踊る姿は感動的であり【北国】の情熱を感じます。
1962年初めて八戸,十和田,酸ヶ湯,浅虫などの温泉旅でしました。その後、五所河原,金木,蟹田,竜飛,十三湖などの津軽半島とマサカリ型の下北半島恐山,薬研,下風呂温泉,大間,佐井村などの半島を歩き、さらに内陸では弘前,深浦,三内丸山,黒石,十和田,酸ヶ湯なども歩きました。いつも何か、他と違う文化と空気を感じて歩いたものです。
夏休みの2003年、翌年、翌々年と3年続けて旅をした事が有りました。その中の一つに津軽半島付け根【木造駅】に大きな遮光器土偶のレプリカのある駅舎を見て驚きました。シジミで有名な十三湖から丹頂鶴の居る鶴田町へ抜け様と湿地帯の細い道を通って来ると、有名な【亀(甕)ヶ岡遺跡】群の看板が見えて来ます。さらに進むと、突然ドン詰りの【木造駅】に出たのです。その小さな駅舎は遮光器土偶で覆われていました。何の知識もないままに見た土偶の大きさと形に強い印象と衝撃を受けました。竹下内閣の時【ふるさと創生金】1億円でレプリカを作ったというのです。この駅舎を見た瞬間、強く【木造町】と言う地名を覚えたのです。
この広い湿地帯には紀元前から多くの人々が暮らし、明治時代には亀ヶ岡遺跡群から奇妙な土偶が現れて関係者は驚いたそうです。眼窩を誇張して瞳が無く横一線の目が特徴です。イヌイットなど雪の光を遮る遮光器に似ている処から【遮光器土偶と言われ20cm程の女性の小さな土偶です。この地方には独特の文化圏があり人々は暮らしていたと言われます。そこには多くの痕跡が残され漆器や甕、ストーンサークルまでも出土している本州ドンづまりのオホーツク人が住んでいた北のまほろば】の地なのです。相撲の伊勢ケ浜親方(旭富士)は最近引退しましたが木造町の出身だそうです。この地方では多くの力士を輩出する土地柄だけに、つい【土偶の形】と力士の関係を思いだすのです。

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木造駅

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遮光器土偶

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旧伊勢ケ浜親方と照の富士

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