連休後、孫たちの相手も終えて皐月のすがすがしい風を浴びながら、いつもの霞が浦湖畔の散歩道を歩いて来ました。早朝にも関わらず湖畔には釣り人が沢山並んで釣りを楽しんでいました。雲煙縹緲の空が拡がり湖面の水鳥たちは羽根をバタバタと騒ぎ始めて居るのです。
湖畔土手側には広大な水郷の田圃が続き、早苗田がキラキラと光り美しい風景を創っていました。子供の頃、祖母からこの様な風景を『苗を植え終えた【神様】が天に昇って帰る日なんだよ!』という話を思い出しました。田圃にも神様が居るのとだと本気で思っていたのです。日本独特のアニミズム信仰が田舎でも信じられていたのだと思います。
昔の田植えは大勢の人達が共同で手伝い合いながら、全て手作業で行っていた事を思い出します。子供達も田圃の周りで遊びまわりながら親達の様子を眺めて居たのです。私は田舎に居ながら一度も田植えをした経験が有りませんでしたが、田植えの風景だけは強く心に残っているのです。今、田植え作業は田植え機を使い、機関銃の弾の様に【マット苗】という苗床を載せれば一人でも田植えが出来る時代になったのです。そこには早苗の人達の賑やかな風景がなくなり淋しささえ感じます。
さらに山手の方を歩けば,小鳥の鳴き声が聞こえ,高台の一面は緑の【とばり】が出来て新緑の枝もあれば,既に落ち付いた緑葉が賑やかな緑の絵模様を創っています。毎年同じ様な風景を眺めているのに新鮮見えて来るのです。これは日本に四季がある為に心の【よみがえり】を感じさせるのかも知れません。又、夫々の家庭の庭先を眺めれば、それぞれの家,家では工夫をこらし草花や木々の枝が鮮やかな色で競い合い、先日亡くなられた星野富弘さんの詩歌を思い出させます。
これらの風景を眺めながらの散歩は、どこかウキウキとして空気までも美味しく感じられるものです。この様な春先の贈り物は人間の五感に驚きと感動を与えてくれます。風さやかなる五月、来年はどの様な情感を老人の目や心に与えてくれるのでしょうか。
春先の風景に思う