残日録

最後の11代水戸藩主・徳川昭武と言う人 

平成21年、大河ドラマ【青天を衝け】で登場した徳川昭武を知った方も多かったのではないでしょうか。この人は水戸藩九代藩主・徳川斉昭の18男として生まれています。若くして御三郷・清水家に居て、13歳の時に兄・徳川慶喜が将軍家に迎い入れ、将軍名代としてパリ万博へ出席し、その時には欧州五か国を歴訪して各国の元首と交流を行いました。その随行員の一人が渋沢栄一だったのです。その間に幕府は大政奉還を行い、16代将軍候補の昭武は、幻の将軍となったのです。
その後、明治時代に入り昭武はパリへ再留学をしています。明治天皇から定期的に拝謁を賜るなど皇族との交流を深め、29歳の時に本妻を亡くした事もあり隠居をしてしまいます。後は、安住の地とした、松戸の戸定邸(城の外)に住まわれて華美を求めず、実質を頼りに建物や庭園などに関心を持ちながら、兄・慶喜とも頻繁に交流し、趣味の写真など多くの文化財を残して53歳で没し、常陸太田市の瑞龍山に眠っています。
小春日和の一日、戸定邸を訪ねました。庭園の木々はそろそろ紅葉が始まり穏やかな日でした。訪れる人も少なく、ゆっくりと邸宅、歴史館、公園を散策出来ました。歴史館では慶喜を中心とした写真展が催されており、慶喜の写真技術の高さが垣間見られます。その中には、妻妾も一緒に写るなど、中々普段見られない写真が一杯並んでいました。
住まわれていた邸宅や調度品は明治初めの物が現存保護され興味をそそります。その庭園の古木やバランスの良い作庭には昭武の美的センスの良さが伺えます。日本文化そのものと言って良いでしょう。良い物を見せってもらったと言う満足感が心豊かにしてくれました。慶喜は大政奉還後、恭順を示してクーデターを無血開城に導き、欧米諸国の餌食にならなかったなど、彼の英知、知略が、その後の日本を導いたと思います。慶喜は、当時の政治赴きを一切語らなかったと言います。後の戸定邸では、年の違う慶喜と昭武が仲良く何を話していたかと、想像を深くした一日でした。

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左から3人目徳川昭武

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戸定邸玄関

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屋敷と作庭

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晩年の徳川慶喜

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由来碑

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室内の一部

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