旅番組を見ていて寒山寺を思い出しました。2008年春、蘇州・寒山寺へ旅する事が出来ました。国語の先生が朗々と【張継】の漢詩【楓橋夜泊】を読んでいた事を思い出すのです。そして円山応挙らが寒山・拾得の画を好んで描き、どこかで複製画を見ています。
上海から和諧号で寒山寺へ向かうと寺の築地塀に沿って行くと、背の高い塀に楓橋夜泊の書が大きく描かれています。小さな山門をくぐり寺内へ入れば、それ程大きくない敷地に堂宇や庫裏が極彩色豊かに並んでいました。
そもそも寒山寺は805年、詩人の【寒山】が草案を結んでいた地に【貴賤】が臨済宗の寺を創建した事が始まりと言われています。敷地内には張継の漢詩の碑が建っています。
月落ち 烏鳴いて霜天にみつ 江楓漁火 愁民に対す こそ城外寒山寺 夜半の鐘声 客船に至る。
寺内を歩いていると庫裏と庫裏の間に有名な“梵鐘”も存在していました。5元を払い思い切り鐘をつい見れば乾いた音が辺りに響いて、この梵鐘音が「鐘声 客船に至った」のかと思われるのです。
ここ、蘇州は日本と中国を結ぶ唯一の入口であった寧波(ニンポウ)に近く、奈良、鎌倉時代には多くの日本僧が首都・長安、今の西安を目指していたと言われます。そして浙江省、江蘇省の寺、寺を廻りながら経典や仏具を求め尋ね歩いたに違いない。最澄しかり、空海、道元、栄西など、など、又、鑑真和上や隠元和尚、沢庵和尚などの中国僧も日本仏教布教の為に跋山渉水の末に日本へ沢山の仏教文化を持ち込んでくれました。正に、当時の中国は世界一のコスモポリタンだったらしいのです。
寒山寺で感じたことは、まず全体の色調が日本の寺と違います。反った屋根と極彩色、どうも私の肌に合いません。日本の寺を見れば、どこかにspiritualを感ずるものがありますが、この寺にはその様なものは微塵も感じられないのです。ただ、ただ“現是利益”だけの寺という感じに思われました。
歩き疲れて一休みしようと大きな樹木のある喫茶店に入り、ゆったりとした時間の流れの中で庭を眺めれば、柳などが緑深く、鳥がさえずり、五月の東風(こち)が心地良い。【春風駘蕩】とは、この様な情感を言うのだろうかと、庭を眺めながら国語の先生が天をあおいで読んでいた漢詩を思い出し{支那}の雰囲気を十分味わい、思いの叶った忘れられない旅になったのです。