老いて記憶力の低下は自分でも嫌になる時が数多く有ります。特に【名前】が出て来ないのです。森山良子さんの歌『あの~、あの~』になってしまうのです。自分はもと、もと記憶力は良いと言えないので自分なりに記録の工夫を考えて来ました。若い時から気付いた事や感じた事を記憶媒体に残す様に努力して来たのです。幸い、我々の年代に【ワープロ】が発達し、その後はパソコンの【ワード】により記録を残す事がそれ程苦もなく出来たのです。我々の世代、人間の価値は記憶力の良い人を社会は評価してきた時代でした。学校では知識を覚えろ、覚えろと積め込みの教育でした。そして記憶力の良い人は有名な大学にも入れたし、就職先も学歴を評価してエリートの世の中を創ったのです。その典型はアメリカでした。そのアメリカを見てみると、どうでしょう? その様な人達を集めても決して良くなったとは思われないのです。知識だけでは人間の【創造力や思考力】が生まれるとは限らないのです。
大会社に居た時に経験した事が有ります。会社は全社員に『会社を良くするには?』との提案論文が義務付けられたコンテストが有りました。その審査結果は1、2位が高卒者の比較的若い年代の人が選ばれたのです。審査委員長は『大学卒者はどうしたのだ!』と、叱責した事を思い出します。この事は大学出という【キャッチ】だけでは、必ずしも創造力や思考力は生まれない事が分かります。この様な事を社会は長い間気が付きませんでした。その後、会社や組織は色々な分野に専門家や経験豊かな人達を集める様になりました。
コンピューターは益々発達して知識力はコンピューターに勝てない事が分かりました。そのコンピューターは『0からの発想や創造する』事は出来ないのです。AIがもてはやされています。知識があっても【考える】と云う創造力は生まれないのです。AIが創造力を持った時は【予測不能な時代】に入ります。もう一つ、人間の脳が凄い事は『いらない知識は捨てる』という忘却作業が自然に出来るのです。そうでなければ人間はノイローゼになってしまいます。人間は不要なものを忘れる凄い力を持っています。例えて言えば物置です。価値観が明確にあれば『物置は小さい方が良いのです』物置が大きいと必要ない知識までも貯め込みます。この事は知識があっても何かを生み出すまでに至らないのです。
昔、書物も学校もない時代に人間は考えて、考えて、いろいろな文化や今に残るものを沢山創り出して来ました。孔子やキリスト達は歩いて、歩いて、考え、考えて普遍なる思想を創り上げたのです。その様に『自分の頭で考える事が最も大事』だという事が分かります。記憶機器を幾ら眺めても新しい考えや発想は生まれないのです。今、ロシア,アメリカ,中国などは力で人間を抑え込んでいます。が、【社会的正義】は一つも進歩していないのです。
![]() う~ん |
![]() エビングハウスの忘却曲線図 |

