今年は太平洋戦争後81年目の終戦記念日を迎えました。今、我々は平和の有難さを享受しております。が、これも過去の苦い経験を下に国民が導き出した結論でした。戦中派の自分達は先輩の戦争体験や、その後の苦い経験を見聞きして肌で戦争の無残さを感じて来たのです。
その一つに、1944年9月パラオ諸島ぺリリュー島を米軍に徹底的に攻撃された事が頭に浮かんで来ます。その戦闘任務を担っていた部隊は主に【水戸歩兵連隊】と【高崎歩兵連隊】でした。サンゴ島の洞窟を基地として対米作戦に従事したのです。米軍は約5万人の兵を送り込んで4日間で陥落させる作戦計画を立てた様です。が、攻めても、攻めても日本軍の抵抗に合い2ヵ月半も掛ったと言われます。米軍は大量の弾薬や火器を使い洞窟を攻め込み、水を断ち日本軍は一万人の死者を出して玉砕したのです。米兵も約二千人の戦死者を出したと言われます。戦後、マッカーサー元帥は、この事を恨んで居たと云います。
この話は父親から少し聞いて居ましいた。が、その後、生き残り兵34名の中に水戸歩兵第二連隊の【茨城町出身・永井さん】の手記を読んだ事が有りました。その内容は玉砕の悲惨な戦闘模様が記されて強い記憶の印象に有りました。永井さん達は1945年の終戦も知らずに米兵の倉庫から弾薬、食料などを盗み二年間も島の塹壕で臨戦態勢を取りながら生存して居たというのです。島民達が島に戻り平和に暮らしている様子を見たある日本兵は米軍に投降して初めて終戦を知ったというのです。
この事は平成天皇の頭にズートと残り、戦後70年、節目の2015年昭和天皇はパラオ諸島の慰霊の旅をしました。最後の生き残り兵の永井さんも同行し、その後の2019年に亡くなっておられます。今でもぺリリュー島には2,700柱の遺骨が眠っており、今年から日本政府は本格的に遺骨回収に動くそうです。
昨年、映画【ぺリリュー】が人気を博して観て来ました。玉砕の映像はアニメ風映像の描写でホットしました。太平洋上のラバウル、サイパン、テニアン、レイテ、アンガウル島などのパラオ近辺諸島の歴戦記を読めば、その悲惨さは筆舌に尽くしがたく人間の断末魔であったと想像します。今でも日本語を公用語とする【アンガウル島】では親日の島も在ります。我々は戦後81年平和の恩恵に与かっています。その幸せは先人達の犠牲の上にある事を良く、良く知るべきです。今、中東,ロシア,ウクライナ,タイ,カンボジアなどの紛争画像を見るに付け、犠牲者を出し続ける家族はどれほど治平を望んでいる事でしょう。
今、日本も隣国の動きに防衛体制を強化して居ます。この様な状況には深い憂慮と懸念が有ります。81年前の状況を知る老人には【戦争と平和】、この重いテーマに後顧の憂いが有るのです。平和日本を掲げる高市政権の真価が問われる政治が続くでしょう。
ぺリリュー島のこと

