残日録

村立 小学校

子供の頃の遠い昔を思い出している。 中国・天津で誕生した私は水戸市近隣の【村】で育った。 戦後間もない村の生活は殆どが農家の自給自足生活に近かった。 日本経済が漸く上向いて来たのは昭和三五年頃からだった。
従い、兄たちは就職先がなくて苦しんでいる。 幸い親戚の【コネ】で就職は出来たが大変な目に合っている。 その後、私達は日本の黎明期に入り、就職は職業を【自分で選べる】程に日本経済は活況を呈し出した。
想い出すのは【小学生・入学式】をハッキリと覚えている。 村立小学校の校庭には大きな桜の木があって春風駘蕩の下で写真を撮っている。 目の前に花びらがハラハラと落ちていた情景を記憶の奥にある。
広い運動場では鉄棒、跳び箱、ソフトボールなど殆どグランドで飛び跳ねて勉学の事は殆ど覚えていない。 ただ、低学年の時は身体が丈夫でない為に先生にはご迷惑を掛けている。 急に体調が悪くなり、女性担任先生は家まで【おんぶ】をして送ってくれた。 今でも先生の広い背中のぬくもりを強く印象にある。
夫々の家庭の父兄達も田畑が忙しくて子供にカマっていられない。 何か、子供の日常は【学校を中心】に廻っていた様に思われた。
夫々の先生方は本当に優しかった。 宿直の時には学校へ遊びに行き、放課後は校庭で子供達と一緒に飛び跳ねて遊んでくれた。四年生頃になると身体もすっかり丈夫になっている。 今思うと、小学校生活が全ての自分を創ってくれたのではないかと感謝している。 やがて村立小学校は水戸市立に組み込まれて行くことになる。

ソン1

村立 小学校

sonn2

涸沼へ遠足

ソン3

動物園へ

sonn4

水戸へのバス

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