今、ロシア侵攻によるウクライナの悲惨な情景は目を覆います。ウクライナ人の忍辱は幾ばくかと思われます。私はウクライナを思う時、1945年2月クリミヤ半島端【ヤルタ】の地で三ヶ国による【ヤルタ秘密協定】を結び、戦時下にも関わらず取り分の打合わせをして千島列島のロシア化を話し合っていたのです。
そしてロシアは1945年8月8日(終戦7日前)【日・ソ中立不可侵条約】を一方的に破り南下侵攻を実施しました。約束を平気で破る国なのです。今も国際法で認められている国後など四島をロシアの地だと武力で脅しています。
我が郷土地理学者・長久保赤水(1717~1801年)の地図にもはっきりと千島列島、竹島、尖閣諸島が載っているのです。
ロシアが東の端に海があることを知ったのは1600年代でした。ピョートル大帝は蛮族のコサック族を使い1695年わずか60人で原住民を銃で脅してカムチャッカ半島を征服してロシア国に帰属させたのです。その頃、ロシアは東の端に日本国がある事を初めて知ったのです。それは1699年船乗りの漂流民・伝兵衛からだったと言われています。
その後、ロシアは日本国を意識して折衝を何度も試みますが、日本は鎖国の智慧で受け入れなかったのです。
ロシアはこれまでも武力で膨張策を執ってきました。『正義は武力』だ!と、今でも信じている様です。今や世界の考え方や文明は大きく変わっている事が良く分かっていない様です。
自由と経済がなければ国民は幸福になれないのです。ウクライナ侵攻後のロシア国民はどうなるのでしょうか。国を侵略してまで大きくする事が国民にとって幸せなのでしょうか。と、ウクライナ侵攻を考えさせられます。また、孟子の【匹夫の勇】そんなことも思いだします。