小学高学年の頃、親戚の小父さんが子供達10人ほどを連れて片道20㎞もあったろう【小松寺】へ自転車で連れて行ってくれたのです。その寺がどんな由緒ある寺かは覚えていませんでしたが、唯、遠い道のりを懸命に走った記憶だけが有りました。その後、平将門の長子・平重盛の墓である事を知ったのです。その事は殆ど忘れていました。
最近、記憶の【小松寺】を一度尋ね様と思い立ったのです。コロナ禍も有り中々実現で来ませんでした。そして、天候を見ながら訪れる事が出来たのです。
その寺は那珂川に近い里山の中、城里町の山懐深い処にありました。県道脇の正門階段を上って行くと小松寺に辿り着くのです。平重盛の墓所は本堂より、さらに山手奥の中腹にありました。階段は苔むし、石段は風化し石が斜めになっています。気を使いながら30m程奥へ昇って行くと石塔が建ち、重盛を真ん中に右手は腹心の平貞能、左手には夫人の得律禅尼が眠っているのです。
父、平清盛の嫡子として平治・保元の乱では清盛を助け、清盛に諫言するなど平家を纏めていたのですが身体があまり丈夫ではなかったらしく、残念な事に平清盛より先に病死してしまいます。その後、平家は滅亡してしまいます。
なぜ、茨城の地に墓があるか不思議ですが、これは京都・小松邸から遺骨を高野山へ、さらに、その後を案じた側近の平貞能は同族・常陸大掾義幹(よしもと)を頼って【小松寺】に埋葬したそうです。重盛が長生きしていれば平氏は簡単に滅びなかったとも言われています。
それにしても、遠い昔を思い出させてくれた小父さん。子供達に歴史の面白さを教え様としていたのでしょう。小父さんの温顔と虚心坦懐な人柄に胸が篤くなります。