残日録

日本半導体の思い

昨年、日本産業は半導体供給不足で色々と支障を来たす事態になりました。が,未だに解決出来ないでいる様です。そして、九州に新たな新技術2ナノの国内生産工場が始まろうとしています。
自分は、半導体に絡む時期が長かった過去を想い出します。1980年初め頃には、半導体Dramリードフレームのアルミ化開発を山形のメーカーと進めました。さらに1990年頃はNECとDram封止を【印刷式】で開発を進めた時期が有りました。そんな事で長い間半導体分野を見て来ました。
1980年中頃、日本はアメリカを抜いて世界一となりシェア50%以上を占める時期が有りました。アメリカは『気に入らない!』と、通商法301条提訴や反ダンピング訴訟を起こして日本に圧力を掛け続けました。1996年から【日米半導体協定】第一、二次協定の約10年間に、日本の半導体生産の勢いは完全に失ってしまいました。

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半導体回路

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工場内

1993年にインテルがマイクロプロセッサーを、1995年にはマイクロソフトがPC用のWindows95を発売すると、世の中は『ワークステーション時代からPC時代』となり【インターネット時代へ突入しました。アメリカは優位に立ち、日本のDramは供給過剰をきたし、【ファブレス体制や研究開発に特化する方式に日本は付いて行けなかったのです。
そして、知り合いの半導体技術者達は会社に苛立ちを感じながら、生き場を韓国や台湾に求める悲しい時期がありました。苦労して積み上げた日本の技術が海外に流出して行ったのです。今、元気の良い海外の半導体会社は少なからず日本の恩恵を受けた経緯があります。気が付けば、日本産業は半導体不足という悔しさが有ります。そして、これらを見て来た日本政府は完全に長期判断を見あやまったのです。

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台湾メーカー

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今後の半導体推移

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