残日録

敬い、思いやる心

久し振りに電車で上京しました。皆が下を向いてスマホ片手の暗い列車の中、途中から乗って来た老婆に、スッと立ち上がり席を譲る高校男子生徒の何と、清々しい行動かと近くで視ていて嬉しくなりました。良く見ていると、老人の隣に座っていた若い女の子は気まずかったのか、スマホを止めて寝た振りをしてしまいした。キット何かを感じたのでしょう?

                     

バブル期の昭和55年(1980年)頃、常磐線沿線は人口が急増加し通勤混雑は半端ではなかったのです。土浦駅の隣駅、荒川沖ではほぼ満席となり、その隣、牛久駅では全く立ちの状態でした。ある時、車両の端に立っていた老人が居ました。老人の前には通勤者が座り、横には一人の若者が座り,一人の友達は前に立っていたのです。老人前の通勤者が降りると、坐っていた若者は横へ動いて友人を坐らせ様としたのです。近くに居た、誰かが大声で『老人をすわらせれろ!』と怒鳴ったのです。それでも頑として動かなかった若者は、前に居た通勤者が若者を引きずり出して大騒ぎになった事が有りました。
今の教育では『老人は身体が弱いから大事にしよう』と教えるらしいです。が、それ事態は悪い事ではないのですが、昔は『老人は一生懸命、世の中を良くしようと頑張り【尊敬】と【感謝】しよう』と教わりました。老人を【敬う】のだと教わったのです。
親達や先生方から【仁と義】について身をもって教えてもらいました。思潮があるにせよ、最近の教育やモラルの考え方がすっかり変わり【仁・義】は死語になりました。法律に触れない事が一番だと教えるそうです。
違うだろうと、老人は言いたいのです。教育の中で【人として、どうあるべきか】を教えない気がしてなりません。古風な考えかは知りませんが、世の中はこうあるべきだと若い時から思って居るのです。
世の中の事件を見ていると、自利のお金や位、或いは快楽の為の愚行と幼稚な事件ばかりです。『仁は人の心なり、義は人の道なり』と、他者を敬い、感謝の気持ちを持たない人の多さに老人はあきれ果てています。

   

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