五月末、石巻、仙台に遊んだ。私は東北を旅することで心が高ぶる。これまで石巻は車で5~6回は通り過ぎた街である。奇麗な街並みの印象が強く残り気になっていた。金華山を目指して牡鹿半島を縦断した事が有る。石巻を少し進んだ処、牡鹿半島付け根には【月の裏】がありルイ・ソテロを正史として支倉常長がサン・ファン・バウティスタ号でスペインに旅立っている。今は公園になり実物大の帆船が湾内にある。常長らが持ち帰った【慶長遣欧使節関係資料】が仙台市立博物館に所蔵されているのを知っていて、帰りには久し振りに仙台に寄り地下鉄で【市立博物館】を訪れ支倉常長らの資料を見る事が出来た。
また、石巻市内の街中をゆっくりと歩き、石ノ森漫画館や元気市場などを見、聞きしながら予約していた宿泊先【石巻グランドホテル】へ向かった。偶然にも、そのホテルの敷地内には奥の細道の時に芭蕉と曽良が泊まったという碑が立っていたのを見つけた。あまりにも偶然なので驚きと感激に身が震えた。
『12日平泉に行こうと志し、途中、あねはの松や諸だえの橋など歌枕にあると人から聞いて行ったが人通りも稀で、漁師や芝刈りの行き来する道など何処とも分らず、とうとう道を間違えて【いしのまき】と言う港に出た。大伴家持が“こがね花さく”と詠んで聖武天皇に献上したあの“こがね”と言う金華山は海上から見渡たされ、数百の運送船が入り江に集まり、人家は狭い処に立ち並び炊事の煙が立ち続いている。思いもかけずこの様な処へ来たものだと、宿を借り様としたが一向に貸してもらえない。やっとのおもいで貧しい【小家】に泊まり一夜を明かした。次の日、知らぬ道を迷いながら旅を続けた』。 奥の細道【いしのまき】の訳文である。芭蕉達は石巻市内の日和山に登り、山の上から石巻の街並みを眺めたと言われる。しかし、『日和山から金華山が見えた!』とあるが、実際は戯作である。日和山の高さから金華山が見えるはずがない。石巻に宿泊した芭蕉と曽良は旧北上川沿いを溯り登米方面に向かっている。私も昔、登米から北上川に沿い車で走った事が有る。新緑の美しい風景が延々と続iいた思い出が蘇る。
いしのまき