残日録

韓国の友人

韓国には40年以上付き合って来た友人がいます。彼の名は、H・Y君と言い、確か年齢は10歳位歳下です。彼は日本の金属問屋の韓国支店長をして日本を来訪しては、随分食事や酒を酌み交わしました。そんな関係も有り、7度も韓国を訪ねています。
最初に尋ねたのは1983年、会社の出張でした。我々の仕事を献身的にサポートしてくれて、彼の運転でソウルからプサンまでの大会社へアルミ材売り込みを案内してくれました。そしてソウルの街も案内してもらいました。当時は未だ朝鮮戦争の名残りか、昼間の街に突然サイレンが鳴り響き【防空訓練】に驚きました。我々子供の頃、ソウルを【京城】と教わりました。が、いつの間にかソウルになり、昔はソウルを【漢陽】と彼から教わりました。またスチュワーデスのサービスの悪さに驚いて、彼に聞けば『ヤンパン(両班)の出』だからと、あっさり言い、含みのある返事でした。
彼が日本に来た時、会社の飲み会があり、飲み過ぎたある人が、韓国に対する失礼な事を言ったのです。彼は真っ赤な顔をして年上の人に食って掛かり、日頃、柔和、温厚な彼には想像の出来ない怒り方でした。
日本は過去、韓国を30年以上も【併合】した時代があります。韓国全ての根底には日本に対する特別な感情を持っています。それは当然な事だと思うのです! 日本の学校では【韓国併合】の歴史的事実を1~2行程度しか教えていません。私自身も、その程度の知識しか無かったのです。この違いは韓国人と話をする時に十分注意しなければなりません! 当時の歴史的背景はあるものの、事実はきちっと教える事が大事だと考えます。一方、韓国人は直ぐに、その事を口にします! それは正しい事であっても『言い過ぎる』と、話は『後ろ向き』になるのです。この現実は韓国との話を難しくしています。
李氏朝鮮国は500年以上も続いたのです!こんなに長く続いた国は他に見当たらないでしょう‼  必ずしも長く続く事は優れているとは思わないが【保守思想】が根本にある事を知らなければなりません。韓国は永い間、中国・日本の狭間で辛酸をなめました。それは【礼教】が国を守り、それで国を束ねた背景が有ります。
彼と、ソウルの街を歩きながら南大門(ナムデムン)を通り、ソウル駅前に出ました。近くには大きな銅像が建ち『あれは?』と問えば、『歴史的に有名な人』とだけ言ったのです。後から彼の気使いに気が付きました。当然、彼は知っていたはずです! その像は豊臣秀吉が侵略した時に国を守った水軍の英雄【李・舜臣イ・シュンシン】でした。

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晩年、韓国訪問

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1910年韓国併合

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李・舜臣 銅像

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