残日録

常陸一の宮・鹿島神宮

1967年自動車の運転免許書を始めて取得しました。間もなく両親に『どこかドライブをしたい所』を問えば、父親は父親は『鹿島神宮へ行きたい!』と云い、砂利道の国道51号線を走り神宮を訪ねて居ます。当時、水戸から鹿島へ行く方法はバスを乗り継いて行く難所であったのです。その後,自動車で何度も訪ねましたが、今回は水戸から初めて臨海鉄道で鹿島神宮を訪れたのです。
10月初めの蒼天の中をゆっくりと神宮境内を歩く事が出来ました。鹿島神宮は常陸風土記にも記される武(たけ)甕(みか)槌(つち)神を祀る常陸国一宮の古社です。昔、霞が浦は海と繋がる内海に在り、舟で赤い鳥居を目指して陸に上がったと云われます。まず御手洗(みたらし)の池で禊をして高台の本殿に向かった様です。現在は高台の陸地側の大鳥居から本殿を拝み、掃き清められた大木の繁茂する広い境内の参道を歩き、自然のままの木々は1000年以上も続く森となり差し込む光は何とも言えない美しい風景を創り、さざれ石や要石(かなめ)などを視ながら御手洗の池まで下りて、御手洗池傍の茶屋で休憩を取りながら昼食をとったのです。
鹿島神宮はヤマト政権誕生時の蝦夷征伐における輸送基地の機能を果たして神宮で戦勝祈願をして北上したと云われています。その頃、神宮は伊勢神宮、香島神宮、香取神宮の三社しか在りませんでした。従い、多くの官職、文人墨客、武士などが鹿島を訪ねた物語が沢山在ります。戦国時代の塚原卜伝は鹿島神宮の神官大掾氏一族で神宮近くに生れ墓も近くに在ります。また【鹿島紀行】で有名な松尾芭蕉や小林一茶なども訪ね、境内には句碑が在ります。
この様な長い歴史を持つ神宮は日本人の心の拠り所として渡来した仏教や儒教文化と巧みに絡み解け合い、神への信仰として日本人の心の奥深く浸み込んで行った様に思うのです。日本神道の基本は清き事、気品ある事、正しい事、それぞれが同居していると云う考え方なのです。確かに、その様な想いで参道を歩いてみると、実感として何か心に伝わって来るものが在ります。日本人は西洋文化の様に【絶対】を信じ『力は権利だと主張する』考えは受け入れ難く、自然を愛し【寛容】と【秩序】を一致させ様とする民族だと云って良いでしょう? 神道には西洋宗教の様な【伝道】という手法は基本的に無く、自らの頭で考える清らかさ、正しさ、気品ではないかと思います。見えない神様に手を合わせる日本人の心を西洋人には中々、理解出来ないと思いながら歩いた一日でした。今年も一年が過ぎ様として居ます。特に、【平和を噛み締めた!】一年になりました。

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神宮の大鳥居

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本宮社殿

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掃き清められた参道

 

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